パルクールからトリッキングへ
中学生の頃、父親が見ていたパルクールの映画「ヤマカシ」をきっかけにパルクールを始める。
パルクールの練習中に知り合った人からトリッキングを教わり、そこからトリッキングにのめり込む。
本格的に取り組み始めたのは中3。
基礎技を飛ばし、難しい技にも果敢に挑戦。
トリッキングのために北海道から上京し、VoLatricksのメンバーとして活躍。
現在はトリッキングの映像制作やモデル、パフォーマーとして活動している。
この投稿をInstagramで見る
ヒップホップ×トリッキング
ヒップホップを好み、「ヒップホップとトリッキングを結び付けること」をテーマに活動。
ラッパーのMV出演も視野に入れており、これまでストリートで培ったトリッキングスタイルを武器に夢を叶えるべく邁進している。
この投稿をInstagramで見る
5年後、10年後…
トリッキングの教室や指導者は少ない現状で、古屋 亮太選手は独学で自身のトリッキングスタイルを確立し、貫き、今に至る。
習うよりも独自のスタイルでトリッキングに取り組むことが今の若い世代には必要なのかもしないと考える。
5年後、10年後には、たとえ第一線を退いたとしてもモデルとして呼ばれるトリッカーになること、若い世代のトリッカーを支援すべくプロデューサーとして映像作品の制作なども視野に入れている。
この投稿をInstagramで見る
参考サイト
【INTERVIEW’s】日本代表 若き天才トリッキングパフォーマー”RYOTA” “TAKUMA”に迫る